プチ炎上から考える、「キャリア選択の足を引っ張るネガティブな意見」を無視するための3つの態度
この記事は「#しがないラジオ Advent Calendar 2018」最終日の記事です。 今年も良い1年でした。しがないラジオに関わった全てのみなさん、ありがとうございました。
さて、この記事では、「自分のキャリアは自分で決める」ということの難しさについて考えます。
ブログがプチ炎上した
「F2を辞めた人たちが、いまどんな感じなのかを書く」という尖った趣旨のAdvent Calendarが、Twitterで回ってきました。
まさにそういう発信をバシバシやってる身としては参加せざるを得ませんでした。 5秒くらい考えてから登録ボタンを押しました。
どんなブログを書いたか?
担当日には、「富士通SEを1.5年務めて辞めた結果、得られた3つの手札」というタイトルのブログを書きました。
論旨は以下です。
- 本音で生きられないし目指すエンジニアとしての価値も上がらないので、1.5年で辞めた
- とはいえ、富士通に1.5年いたことで、「エンジニア」、「大企業出身」、「SIer出身」という属性を獲得できた
- こうした属性を組み合わせることで、できるアウトプットの幅が格段に広がった
特に「しがないラジオ」や「完全SIer脱出マニュアル」などのアウトプットは、富士通で得られた属性がなければ成立しないものだったと思います。 同時に、属性の近さによって多くの人と知り合うことができ、さらにそれがTwitterやオフ会を通じてコミュニティとして成立するまでになりました。 もちろん、多くのゲストの方、リスナーの方、読者の方のおかげです。ただ、その大きな流れを引き起こすきっかけを作れたことはとても誇らしく思っています。
どんな反応が来たか?
ぶっちゃけAdvent Calendar向けにさらっと書いたブログだったのですが、タイトルがタイトルなので、はてブが300近く付いてコメントも結構付きました。 もちろん好意的なコメントもたくさんありました。
しかし、以下のように1.5年で辞めたことに対して否定的なコメントも多く、そうしたコメントにも多くのスターが集まってプチ炎上の様相を呈していました。
- 「1.5年で元SIerと言われましても」
- 「わずか1.5年で得られた手札か」
こうした否定的なコメントに多数の賛同が集まること自体が非常に興味深く、考えさせられました。
今回のようなケースに限らず、「自分のキャリア選択に対して周囲の人から否定的な意見が寄せられる」という構図は多いと思います。 たとえば以下です。
- 上場していない会社に就職しようとしたら、「安定した会社にしろ」と親に止められた(いわゆる親ブロック)
- 転職しようとしたら、上司に「お前はどこに行っても活躍できない」と罵倒された
考えてみたいこと
そこで、「楽しく働くことを目指す人が、キャリア選択に関するネガティブな反応にどう対処すべきか」について考えてみたいと思いました。
きっと適切な心構えがないと、「楽しく働く」可能性の芽は摘まれ、この社会はどんどんつまらなくなってしまうように感じたからです。 大人が仕事を楽しんでいないと、それを見ている子供も未来に希望をもてないかもしれません。
楽しく働くためのキャリア選択をする人に求められる態度
外野の意見の裏側にある「感情を想像」し、「違いを明確」にし、「無視」する
基本的な態度は、「外野の意見は無視する」でいいと思います。 あなた以外の誰も、あなたの人生に責任を取ってはくれません。
「宙船」でも聴いて頑張りましょう。中島みゆきの歌詞が沁みます。
感情を想像する
ただ、単純に無視するというのも難しいことが多いと思います。 たとえば以下のケース。
- 不条理にイライラして、無視できるレベルを超えている
- 親や配偶者など、相手が直接のステークホルダーである
そんなときは、その発言の裏側にある感情を想像してみます。
たとえば「1.5年で元SIerと言われましても」という批判コメントを題材に考えます。その背景には以下のような感情があるかもしれません。
- 一般的に、新卒で入った会社は最低でも3年間いた方がキャリアが広がると、心から信じ心配している
- SIerですでに20年働いていて、その業務の奥深さが理解されていないと感じ、憤っている
- 転職が一般的になった時代の自由さに対して、妬ましく思っている
こうしたマイナスの感情に思いを寄せることで、不条理に感じる気持ちが少し癒されます。 「確かに同じ立場だったら自分も似たようなことを思ったかもな」と理解できるからです。
たとえば、僕がポッドキャストを始めたころに「ポッドキャストやってるんですよー」と言うと、相手からはちょっとバカにしたような反応が返ってくることが多かったです。 そんなときはちょっとイラっとしました。 ただし、もし自分がポッドキャストを全く聴いたことがない状態で、友人が「ポッドキャストやってるんですよー」と言ってきたらなんと言ったでしょう? きっと僕は「それって売れないYouTuberみたいなもの?」と小馬鹿にしてイジったでしょう。
誰もが立場によっては誰かの足を引っ張る側に回るし、誰もが相手の感情なんてそんなに考えてないです。 「敵と味方」 のように二分してしまうのではなく、想像力を触媒としてその間を溶かしてあげる方が、イライラしなくてオススメです。
この辺りのトピックについては、以下の本が非常にオススメです。 特に、犯罪者の心理に詳しい著者が「自分も事故を起こしたときは、相手の気持ちなんて全く考えず自分勝手な思考に捉われてしまう」と告白する部分がフェアですごく好きです。
- 作者: 岡本茂樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
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違いを明確にする
意見や思いがズレる原因の多くは、立場や見えている景色が違うことです。 たとえば以下の違いからくるものです。
- 「持っている情報の量や質」を左右する違い
- 年齢の違い
- 所属していたコミュニティの違い
- 「判断基準」を左右する違い
- 会社や家族の中での役割の違い
- 個人としてのキャラ付け(ブランディング)の違い
その違いを理解することで、「立脚点が違うから否定されるんだ」ということに納得します。
「もっと安定した会社で働け」という発言をした親には、単純に「事業が安定していることと個人としての楽しさには必ずしも相関がないこと」や、「上場企業なら安定しているとは限らないこと」に対する知識や実感が足りないかもしれません。
「お前はどこに行っても活躍できない」と罵倒した上司は、「部下が辞めることで自分の評価が下がる」という事態を避けることを最優先にしているかもしれません。
「1.5年で元SIerと言われましても」と発言した人は、「1年間でできると思っていること」や「人生における1年間の価値」が僕とは全然違うかもしれません。あるいは、「ネットに上がってきたトピックを面白く消費すること」に対するプライオリティが高いかもしれません。
違いがわかると、「立脚点が全然違う意見は無視しよう」と、ドライに考えられるようになります。
話し合いが必要な場合は?
上司やネット上の意見は無視すればいいですが、親や配偶者であればそうもいかないかもしれません。 幸い僕は家族にキャリア選択を反対されたことは無いので、どうすればいいかを実体験を持って語ることはできません。
想像で話すと、否定する裏側にある思いを全て吐き出させて、その思いに共感し寄り添うのが大事かなーと思います。 頭の中身を吐き出して空っぽにしてからじゃないと、別の意見を入れる余地が空かないからです。
ただし、「情報の量や質が違う」という事実はどうしようもなく、心からお互いにわかり合うということは不可能です。 なので、最後はポジティブな意味で無視して自分で決め、信じて任せてもらうしかないと思います。
似たような話が書いてある記事を見つけました。
「転職の思考法」という書籍の筆者の方が書いた記事みたいです。 この本は読んだことありませんが、良い評判を聞いたことがある気がするので、参考になるかも。
このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法
- 作者: 北野唯我
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自分と似た境遇を生きてきた人の意見を優先する
もちろん、キャリア選択に対する世の中の否定的な意見にも、参考に取り入れた方がいいものもあるでしょう。
- その会社はいい噂を聞かないから、入るのはやめた方がいい
- ○○をやりたいなら、××をやってるその会社には行かない方がいい
玉石混交な意見から、本当に役に立つものを選び取るにはどうすればいいでしょう? そのためには、「自分と似た境遇を生きてきた人の意見を優先する」という戦略が重要です。
全ての意見は、その発言者の経歴や経験が偏っているのと同様に、どこか偏っています。 たとえば僕の発言も、僕の経歴や経験から来る生存者バイアスで歪んでいるはずです。 どこかの誰かにとっては全く参考にするべきではない意見かもしれません。 きっと、僕の意見は以下のような属性に引っ張られているはずです。
そのため、たとえば現時点で50代の人には全く参考にならないかもしれないし、エンジニア以外には全然当てはまらないことを言っているかもしれません。 こうした「生きてきた境遇の違いからくる現在の状況の違い」を差し引いて考える必要があります。
コミュニティなどを通じて自分と似たような属性の人とつながることで、より価値のある意見を多く受けられるはずです。 「しがないラジオ」も、「自分と属性の近い人たちのコミュニティだ」と思ってくれる人のために、価値を提供できるコミュニティであるといいなあと思います。
「世代間の争い」
様々な違いの中で、最も大きなものが「世代」の違いだと考えています。 単位時間当たりに手に入る「情報の量」や「繋がれる人の数」が爆発的に増えていく中で、世代間の情報格差は信じられないほど広がっています。 僕自身、一世代下の人たちの文化や考え方に付いていけていないと感じることが頻繁にあります。 同時に、自分より若い人たちの仕事上での優秀さに、焦りを感じることもしょっちゅうです。
また、世代毎に何かの価値判断をするときの「判断基準」も大きく変わると思います。 あと20年しか生きない人に「未来への投資のために云々」と言ってもピンとこないかもしれません。 若い世代は、これからどんどんリスクを取ってレバレッジを効かせられます。 逆に言えば、「あと50年以上楽しく生き続けよう」と本気で考えたら、今から色々と仕掛けてスキルや経験や実績を積まないといけません。
僕はベンチャーに転職して、仕事中もずっと本音で生きられるようになりました。 その1つの要因が、近い世代の人が多くいる場所に移ったことだと考えます。 もはや、「これまでの世代が作った常識を、現代に合うように作り変えていく」という「世代間の争い」を、公私ともにやっているという感覚すらあります。 この点に関しては、以前「クソみたいな当たり前を壊すことが、ベンチャーに関わる楽しさである」という趣旨のLTをしました。
「価値が届いた実績」が自分を癒す
変わったキャリアを選択したり、ユニークなチャレンジをしようとしたりするほど、周りからの「そんなの無理でしょ」という意見に晒されます。 そんな否定的な意見に晒され続けて、心が荒むこともあるでしょう。
ネガティブな反応に心を左右されなくするための一番の方法は、「価値が届いた実績」を積み重ねることです。 「やっぱりそんな仕事やらない方がいい」と言われても、「あなたは知らないかもしれないが、実際に私の仕事に対してユニークな価値を感じてくれる人がいるのだ」という実感があれば、自信をもって無視することができるでしょう。
たとえば僕は「わずか1.5年で得られた手札か」というコメントを見たときも、全然気になりませんでした。 それは、「わずか1.5年」でSIerを辞めたことで可能になったアウトプットが、「人生が変わるきっかけになりました」というポジティブな反応をたくさんもらえるほどの価値を生んだことを知っているからです。 「しがないラジオ」や「完全SIer脱出マニュアル」をきっかけにして、実際に転職をしたり、エンジニアとしてのアウトプットやつながりを増やしたり、楽しく働ける人が増えているという実感があるからです。
「完全SIer脱出マニュアル」が技術書典5で売れたときの感動については、以下のLT資料に書きました。
また、「わかばちゃんシリーズ」で有名な湊川あいさん(@llminatoll)も、「書籍化目指します!」というチャレンジに対するネガティブな反応についてマンガで描いています。
こういうこと言われても気にしなくていいって話 pic.twitter.com/6h1gW2d1HI
— 湊川あい🌱わかばちゃんと学ぶシリーズ発売中 (@llminatoll) 2017年9月30日
会社の中での仕事においても、会社の中で「自分にしか生み出せない価値」を発揮できた実績を積み重ねていくことで、「自分はここにいていいのだ」という自信を強くもつことができます。
このように、実際に「価値が届いた実績」を積み上げていくことで、自分をネガティブな反応から守る「最強の盾」をつくることができます。 また、感謝の言葉を言われると、これまでの苦労や心労がどんどん癒されていきます。 言い換えると、「『世間体』よりも実際に自分や周りの人が感じた『価値』を大事にする」ことで、次第に世間体は気にならなくなっていきます。
自分で決めてない選択は、反省すらできない
ここまで、「楽しく働くことを目指す人が、キャリア選択に関するネガティブな反応にどう対処すべきか」について考えてみました。
まとめると以下です。
- 外野の意見は、「感情を想像」し、「違いを明確」にした上で、「無視」する
- そうすることで、イライラせずにちゃんと無視できる
- 多くの意見の中からは、「自分と似た境遇を生きてきた人の意見」を優先する
- 特に、同じ世代を生きている人と共に戦う
- 「価値が届いた実績」を積み上げることで、ネガティブな反応から自分を守り癒せる
では、逆に「納得できないまま、周囲の意見に左右された決断をしてしまった」場合、どうなるでしょうか? そのような決断の一番の問題点は、「仮に失敗したとしても、自分の失敗として反省できない」ことです。
多くの人は、キャリア選択の中で失敗を繰り返しながら、より楽しくなる方向に舵を切っていきます。 僕自身、公務員試験に落ちて就職浪人したり、自分と合わない会社に新卒で入ってしまったり、多くの失敗を繰り返してきました。 しかし、それらは全て自分がそのときの最大限の努力をもって選んだ道でした。 それが失敗だとわかった時点で、自分にどんな情報が足りなくて、どんな思い違いをしていたのか、「自分事」として反省することができました。
もしも、たとえば「親から言われたから」という理由でキャリア選択をしてしまったら、その失敗を親のせいにするはずです。 「自分は悪くない」という言い訳に使える材料がある以上は、人は易きに流れます。 自分自身の落ち度として反省はせず、失敗を自分の糧にすることができません。 次に大きなキャリアの選択をするときも、リスクをとって正しい選択をする能力は一向に上がっていきません。
自分の思うようにキャリアをコントロールするためには、「自分で決めた」と言える決断を積み重ね、またその決断が失敗だったときも過去の決断を「失敗だ」と自分で断定していく作業が必要になります。 自ら主体的に決断と失敗を繰り返すことで、初めて「自分」にその経験値が蓄積されていきます。
「失敗したらどうする」というネガティブな反応がよくありますが、「ちゃんと『失敗』できないこと」以上に無駄なことは無いのです。
他の誰も、「私の人生」を代わりに生きてくれる訳ではありません。 「私」が生きるしかない「私の人生」は、自分の責任において楽しい方向に引っ張っていくしかないのです。
楽しく働き続けられる場所は、きっとあります。 ネガティブな意見に負けずに、頑張ってつくっていきましょう!