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@jumpei_ikegami

富士通SEを1.5年務めて辞めた結果、得られた3つの手札

こんにちは、gamiです。 この記事は、楽しかった職場 みんなのF2 Advent Calendar 2018 - Adventarの9日目の記事です。

僕は文系卒で2015年4月に富士通に入社してから公共系SEになり、2016年11月に退職して当時40人規模のベンチャーにWebエンジニアとして飛び込みました。 今は楽しくて仕方がない仕事生活をしています。

また、その経験を活かして「SIerのSEからWeb系エンジニアに転職したんだが楽しくて仕方がないラジオ」という燃えそうなタイトルのポッドキャストをやっています。 略して「しがないラジオ」といいます。

テーマ

以下を書きます。

富士通に入った理由

富士通に入った理由は、主に以下の2つです。

  • もともと公務員志望で、公共系システムの開発に関わりたかった
  • ITスキルという自分の専門性を獲得したかった

いま思うと、その両方は富士通で満たすことができたので、感謝しかありません。

富士通を辞めた理由

富士通を辞めた理由は、主に以下の2つです。

  • 本音で生きられない環境だった

「社長-本部長-事業部長-部長-マネージャー-平社員-パートナー」という身分制度がしっかりしている会社だったので、「平社員」の身分を超えた発言や活躍ができないのが今思うと辛かったです。 特に仕事のでき不出来が身分と完全に相関している訳ではなかったので、「仕事もできないのに出世してる人」への不満みたいなものが社内に見え隠れしている感じはありました。 もちろん尊敬する先輩や上司もいましたが、彼らもまた完全に本音では生きられないように見えたので、それもまた辛かったです。

  • 開発手法や技術が古すぎて、エンジニアとしての価値が上がらないと感じた

とあるきっかけでRebuildという神Tech系ポッドキャストを聴き始めたのですが、そこで話されている技術的なトピックが全然わからずに衝撃を受けました。 エンジニアインターンなどはしたことがなかったので、「COBOLJavaアプレットとか結構古そうだけど、業務での開発なんてこんなもんなのかな」と思っていましたが、全然そんなことは無かった。 プロジェクトとしても、もっと生産性の高い開発を目指すべきだと思ったし、個人としてもそういった開発に触れていないと転職できなくなると感じたので、早めに転職しました。

以上です。 もちろん、富士通は超巨大企業なので、部署によって全く別の会社のように文化が違ったりします。 そのため、たまたま僕がいた部署と僕が合わなかったというだけの話でしかありません。

なお、転職活動の経緯は、以下の記事にも書きました。

jumpei-ikegami.hatenablog.com

また、「しがないラジオ」の最初の方の回でも経緯について話していると思います。 聞いていない人は、ぜひ各種ポッドキャストアプリから聞いてください。

転職前後の違い

結果的には、富士通に1.5年だけ在籍して、当時40人のベンチャーに転職しました。 その中で働く個人として、両者の違いを考えます。

信じて任せる範囲

富士通にいた頃は、良くも悪くも「新卒1年目」として扱われ、「全てのアウトプットに誰かしらの事前・事後の承認が必要」な状態でした。 制度や風土としても、「優秀な人には信じて任せる」というより、「どんな人が来ても最低限の仕事ができる」ことを目指した組織だったと思います。

現職は当時40人の会社だったので、純粋に「会社の一員」として迎えてもらった気がします。 また、「事前に承認を得るより、勝手にやって迷惑かけたら後から謝る方がいい」という失敗を奨励する文化だったので、「自分で勝手にissueを立てて自分で勝手に解く」みたいなことをガンガンやることができました。 これが、少なくとも僕には性に合っていたようで、とにかく仕事が楽しく、月曜日に会社に行くのが辛くなくなったのが衝撃でした。

それなりに仕事ができる個人の生産性を最大化するには、「個人を信じて、個人に任せる」ことが必要だと実感しました。

服装

富士通ではだいたいみんなスーツを着ていたので、僕もスーツを着ていました。 いま思うと、客先に行かないことがほとんどだったので、「誰のためにスーツを着ていたのだろうか?」という気持ちです。

いまは、だいたい赤いスニーカーにTシャツとパーカーで出社しています。 クライアントとの打ち合わせに同席することも多いですが、なんとそのままの格好で行っています。

働き方

富士通では、8:40出社、17:30退勤でした。 出勤時間は打刻管理され、遅刻が許されない雰囲気でした。 「朝に遅刻をしてはいけない」というプレッシャーが地味に辛く、寝過ごした日は朝一の打ち合わせなどがなくても走って出社していました。 なお、残業が多い部署もあったようですが、幸いにも僕はほとんど残業せずに18:00までには退勤していました。

いまは、前述のように「個人の生産性は個人が管理する」という思想の会社なので、フルフレックスで何時に来ても何時に帰ってもいいです。 一応10:00〜19:00が就業時間っぽい雰囲気はありますが、別に守る必要はありません。 また、リモートワークも自由なので、1人でできる作業をするときは家でやったりもしています。 「少し朝に洗濯してから行こうかなー」みたいなことが気軽にできるのは、生活のストレスが減ってすごくいいです。

給与

富士通の当時の年収と比べると、今の年収はだいぶ高いです。

富士通では、少なくとも入社数年は全員給料が同じ(正確にいうと、学部卒と院卒では初期の給料が違う)です。 そこからは職位とともに上がっていくと思いますが、職位自体がだいたい足並み揃えて上がる印象なので、そんなに給料の差がつきにくい会社だと思います。 僕は給与にそこまで関心が高くないのであれですが、純粋に給料だけを考えれば、「平均以上に優秀な人は損をし続ける」制度だったと思います。

富士通にいたことで得られた3つの手札

富士通に入社したことを後悔しているかというと、全くそんなことはありません。 以下の3つの手札を得られて、その先の活動の幅が広がったと感じるからです。

  • エンジニアと名乗るのに最低限必要な「ITスキル」

転職後しばらくはゴリゴリのWebアプリケーション開発をしていましたが、割とキャッチアップは早かったと思います。

  • 「大企業」の組織構造を体験したこと

まだまだ日本の経済活動の多くは「大企業」が回していると思いますが、その裏側を身をもって体験できたのはとても良かったです。 最近、学生のキャリア相談に乗ることがありましたが、「大企業とベンチャー」という比較軸で実体験を話せるのは結構ありがたがられました。

  • SIer出身」という属性

SIerと自社Webサービス開発」の2つを経験しているという属性があるからこそできることがあると強く感じています。 一番有名な活動としては、冒頭に書いた「しがないラジオ」というポッドキャストを配信しています。今では初対面の人に「しがないラジオのgamiさんですよね?」と言われることがあるくらいに広まっています。 ポッドキャストではゲストの方を呼んで色々なテーマで話すのですが、キャリアの話、特に「SIer論」みたいな話が話題になることが多いです。 このようなテーマについて話せる最低限の経験ができたことは、とてもよかったと思っています。

このテーマを煮詰めて実用的に固めた、「完全SIer脱出マニュアル」という同人誌も書いたりしました。

jumpei-ikegami.hatenablog.com

仕事や趣味を問わず、個人としてのアウトプットは「いかに自分の尖った手札を増やして、それを組み合わせるか」がとても重要だと考えています。 その意味で、「エンジニアである」とか「大企業に新卒で入った」とか「SIerCOBOLで開発をしていた」などの属性を手札として獲得できたことで、アウトプットの幅は格段に広がりました。

まとめ

富士通には、ITスキルという専門性が欲しくて入社しました。 富士通は同期も多く研修も手厚いので、新卒で入る会社としては最高でした。 ただ、たまたま僕が配属された場所は、そこから成長していこうと思ったときにスピードが出ない予感がしたのですぐに辞めてしまいました。

富士通に入る決断も辞める決断も、どちらも後悔はしていません。 逆にいうと、それを後悔しなくても済むように、その経験を自分個人のカードとしてうまく利用している節があります。 もしこの記事を読んでいる富士通の若手社員に偉そうにアドバイスを垂れ流すとしたら、「キャリアの選択肢を広げるための『カード』を今の仕事で獲得し続けられるか?」という視点で振り返ってみるといいと思います。

ちなみに、そのためには今とは違う可能性についても知る必要があるので、「転職」をするかどうかに関わらず、「転職活動」をしてみるのがおすすめです。